こんにちは!
熱い熱いドラフト会議が終わりましたね!
若手の指名が多かったなあと思う中、うれしい選手が指名されました!
小川一平選手です!
10月17日のプロ野球ドラフト会議で
小川一平(経営学部 横須賀工業卒)が
阪神タイガースから6位指名を頂きました!おめでとうございます!👏🏻⚾️ pic.twitter.com/9za9BVz7VV
— 東海大学九州キャンパス硬式野球部 (@tokai_kyushu_bb) October 17, 2019
おめでとうございます!
どんな選手なのか気になりましたので調べてみました!
目次
小川一平(阪神)のプロフィールを紹介!
それではまず小川一平さんのプロフィールを紹介していきますね!
小川一平選手のプロフィール
名前:小川一平(おがわ いっぺい)
生年月日:1997年6月3日
出身地:神奈川県逗子市
出身校:逗子市立逗子小学校→逗子市立図師中学校→横須賀工業高等学校→東海大九州
身長:182cm
体重:80kg
投打:右投右打
小川選手は小学校2年の時に野球を始めます。「逗子オリーブス」でチームメイトと汗を流し、肩が強いこともあって小学4年生から投手となります。
中学校でも軟式野球部で投手をつとめ、横須賀工高でも1年から投手としてチームを引っ張ってきました。
高校最後の3年夏は神奈川大会2回戦敗退。
もともと就職するつもりだったものの、その才能を見抜いた監督が東海大九州のコーチに相談し、コーチから小川選手にオファーがあり、東海大九州に進学することになりました。
コーチの「田舎の大学で目立とう」の言葉に、進学を決めた小川選手。
しかし入学直後に起きた熊本地震が起き、グラウンドでの練習ができなくなってしまいました。
さらにチーム内で不祥事がありリーグ戦は出場辞退に。
しかしここでも小川選手は諦めませんでした。
「ここで運がないと思えばおしまい」と体づくりなど自分ができることをしてチャンスを待っていました。
社会人チームとのオープン戦を行う中、スカウト陣に着実に高評価をもらい、ドラフトの日を待った小川選手。
見事指名を勝ち取りましたね!
小川一平(阪神)の経歴は苦労人だった!
小川一平選手の経歴も紹介していきますね。
小中学校、そして高校でもあまり注目されなかった小川選手ですが、知る人ぞ知る「逸材」として、コーチや監督からはその才能を早くから見いだされていた小川選手。
当時の高校の三木健太郎監督が、就職し野球を諦めようとする小川選手に、東海大九州での野球という道を切り開いたのも、彼にその才能があったからではないでしょうか。
しかし高校の時に痛めた腰が大学3年時に再発。
調整に調整を重ねて出場を待った4年生の時には部活内の暴力などの影響でリーグ戦には出場できなくなってしまいました。
しかしそんな中でも諦めずトレーニングを地道に行い、2017年には侍ジャパン大学代表の強化合宿に召集されるようになりました。
クローザーとしての幾度かのピンチをくぐりぬけ、東海大九州11年ぶりの全日本出場の立役者ともなりました。
11球団からの調査票が来るほどの「不屈の右腕」を持つようになった小川選手。
熊本地震の際は大学が1か月間休校になり、神奈川にある実家に戻り、募金活動にも参加していたといいます。
多くの人が関心を寄せてくれたこともあり、「生きて野球ができているだけで幸せ」と今の環境に感謝しつつ練習に対してもさらに全力で打ち込むようになりました。
そして今回のドラフト指名。
見事阪神から指名を受けました!
これからはプロ入りをして経験を積み、活躍していくことになりますね!
小川一平(阪神)の実力は将来有望?
小川選手の実力も気になったので調べてみました!
柔らかいフォームからの速球が特徴
持ち味は柔らかい腕の振りから繰り出される速球です。
大学2年生の時に出場した大学選手権で140km台の球速を記録し、全国から注目を集めました。
柔らかく腕を振ることができるので、ストレート、チェンジアップ、スライダーなどどの球種も生かすことができます。
小川一平さんすげえ投げっぷりの良さあるし球質も良さそうやね pic.twitter.com/ItIlf73gJr
— m_kasai (@m_kasai) October 17, 2019
体格もしっかりと作られているので、しっかりと投げ込み経験を積めばさらに上を目指せる投手でもあります。
変化球もブレーキの利くチェンジアップで、さらには鋭く打者の手元で変化するカットボールはプロでもすぐに通用するレベルでもあります。
東海大九州のドラフト候補、小川一平(横須賀工)は5回2/3を投げて被安打10、7失点(自責点7)、5奪三振、2四死球で降板。ただボール自体は全く悪くなく、攻略した沖縄国際大打線が見事でした。各回の最速は下記の通り。
144
143
144
142
145
144 pic.twitter.com/Splf0dOFAx— PABB-lab.com プロアマ野球研究所 (@pabb_lab) October 5, 2019
これまで大舞台の試合経験が少ないこともあり、あまり目立たない存在でしたが、キラリと光る素材は一級品です。
最速141km
高校2年の冬に筋トレと食事を増やすことで体重を増やしたことで球速が一気に伸び、当時の横須賀工業の三木健太郎監督は、141kmまでに伸びた球速を持つ小川選手の進路を作り、その道を開いてくれました。
試合に出場できない時は体幹を鍛えることでさらに球速を増し、大学2年の春には148kmを計測するようにもなりました。
これからどんな風にその才能が開花していくのか、これからがたのしみですね!
小川一平(阪神)と兄弟との絆も
小川選手にはお兄さんと妹さんがいます。
兄との絆
その中でもお兄さんとの絆は固く、野球人生を進めるうえではかけがえのない存在でした。
お兄さんの名前は「太郎」さん。
常に小川さんの背中をおしてくれた「縁の下の力持ち」として支えてくれていました。
経済的に苦しい家庭を見て、就職を考えたこともあった小川選手ですが、太郎さんが「やりたいことをやればいい」と野球を続けることを後押ししてくれたそうです。
グラウンドが使えず、満足に練習できない焦りを常に支えてくれたのは家族という存在があったから。
「プロ野球選手になって家族に恩返しがしたい」と心に決めている小川選手。
家族一丸となって目指した夢がかないましたね!
ケガの具合はどうかも
小川選手は高校に腰を痛め、それが大学3年時にも再発しています。
ケガで試合出場停止の経験あり
小川選手のケガは思ったよりひどかったようです。
大学3年時には試合に出場することができないほどだったので、プロ入りしてから再発しないかが心配ですね。
ただ体幹がしっかりと作られているという事、本人も何度も腰を痛めていることからしっかりとした治療とリハビリを重ねながら練習を重ねていると思われます。
完治はしていない予想
腰はどうしても日頃から使っている場所なので、完治したとは考えにくいのですが、しっかりと向き合いながら野球をプレーしていってほしいですね。
おそらく腰に負担をかけないようにしながら投げることもできるように研究されていると思いますので、小川選手の今後を見守っていきたいですね。
おわりに
今日は小川一平選手について調べてみました。
ケガや不祥事、そして地震によって、何度も何度も野球ができないことが続いた小川選手。
「あきらめなければ道は開ける」と真摯に野球に打ち込む姿が評価されたんでしょうね。
本当におめでとうございます!
これからも応援していきましょう!
注目選手が他にもたくさんいてこれから面白くなりそうですね!


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!