こんにちは!
全日本大学駅伝が終わり、実力がある選手が台頭しましたよね。
そんな中注目されているのが、東海大学の塩沢稀夕選手です!
#全日本大学駅伝 の2区で東海大の1年生で、伊賀白鳳高出身の塩沢稀夕選手が、区間5位の力走を見せました。間近で見ましたが、躍動感のあるスケールの大きな走りでした。三重からまた名ランナーが誕生しそうな予感です pic.twitter.com/Ld4m7CRLM8
— 広部憲太郎 (@Becky7712) November 5, 2017
塩澤選手はどんな選手なのでしょうか?
そして今の実力をつけるために故障からどのように復活したのかも書いていきますね!
目次
塩澤稀夕選手の名前の読み方や由来は?
塩澤選手の名前の「稀夕」。
なんて読むか最初わかりましたか?
私は全く分かりませんでした。
稀夕と書いて「きせき」と読みます。
名前の由来は不明
実は塩澤選手のこの名前、由来は明らかになっていません。
「きせき」という珍しい名前に珍しい漢字で、同級生などはきっと一発で名前を覚えたことでしょうね。
私の知り合いにも「きせき」くんがいましたが、珍しいね~とお母さんは周りから言われていました。
子どもの頃はきっと「きーちゃん」と呼ばれ、周りから愛されていたんでしょうね。
きっとご両親はすぐに覚えてもらう事の意味も含めて名付けられたのかもしれませんね。
名前に使われている感じの意味
塩澤選手の名前に使われている文字も珍しいですよね。
どんな意味の漢字なのかを調べてみました。
まず「稀」という文字は「少ない、めったにない」という意味であり、「まれにある」という言葉でよく使われます。
ただ、名前に使われるのは「まれ」という意味の通り「世界でたった一人の大切な存在」という意味や「類い稀な才能を発揮して輝いてほしい」「誰にもない才能を活かした個性の持ち主になってほしい」との願いが込められています。
また、「夕」は文字通り「夕方」の太陽を意味し、「真っ赤な夕焼けのように、一つの事に情熱を燃やせる人になってほしい。また、その道を極め、大きな夕暮れの太陽のように、人の心をいやすことができる人になってほしい」という意味が込められています。
つまり塩澤選手の「きせき」という名前は
・輝く夕日のように、一つの事で輝き、みんなを明るく照らしてほしい
・たぐいまれな才能を発揮し、ただ一人の素晴らしい人になってほしい
という意味が込められているのではないでしょうか。
どんな由来があっても、ご両親が塩澤選手の誕生を祝い、その人生にたくさんの事を願っていることには変わりありませんね。
きっとご両親も会場まで応援にかけつけているんでしょうね。
塩澤稀夕選手のプロフィールや経歴を紹介!
塩澤稀夕選手のプロフィール
それでは塩沢稀夕選手のプロフィールを紹介します!
全日本大学駅伝
東海大学・塩沢稀夕君
スタート前、リラックスしてた。
いいね〜 pic.twitter.com/A880oUCqlm
— Ganye (@ganye128) November 5, 2017
名前:塩澤稀夕(しおざわ きせき)
生年月日:1998年12月17日
出身地:三重県
身長:179cm
体重:58kg
出身校:三重県桑名市立成徳中学校→伊賀白鳳高等学校→東海大学(在学中)
好きな食べ物:タピオカ
好きな食べ物が「タピオカ」とはイマドキですね~!
東海大学ではチームメイトに恵まれ、厳しくも充実した練習をしているようです。
全日本大学駅伝優勝することができました!
沢山の応援ありがとうございました😊#GoTokai #NIKE pic.twitter.com/Tds6j4m3Vb— 塩澤稀夕 (@shiozawa23_1217) November 3, 2019
「稀夕」と書いて「きせき」と読む名前、私は初めて見ましたが本当に珍しいですね。
塩澤稀夕選手の経歴
塩澤選手は高校時代も陸上部。
2017年の都道府県駅伝では1区を走り見事1位でタスキをつないでいます。
東海大学に入学した時、名取選手と共に非常にチームから期待される新人だったようです。
「次期東海のエースになれる逸材」として期待を集め、事実2017年には1年生ながら出雲駅伝にエントリーし、全日本大学駅伝では唯一1年生で2区を走り、5位の成績を収めています。
今回の全日本大学駅伝では3区を走り、見事区間3位の成績をあげチームに貢献しました。
なんと7人抜きの快挙だったもようです。
これはもう箱根駅伝でばっちりと自分の最高の走りを見せてくれそうですね!
(追記)
2021年の箱根駅伝では1区を走ります。
ペース配分がカギになる1区。
どこまでライバルを突き放せるかが勝負ですね!
強さの秘密も紹介!
塩澤選手は1年の頃、ケガに悩まされ思うような走りができなかったそうです。
怪我による不調で最下位に
期待されていた自分が故障によって思うように結果が出せない。
それは私たちが想像する以上に過酷なものなのだと思います。
故障明けの塩澤選手は2019年1月に都道府県駅伝に三重県代表として出場。
3区を走り成績は最下位だったものの、ここから塩澤選手の復帰の道が始まります。
アメリカ合宿で見えたもの
塩澤選手は都道府県駅伝の後アメリカ合宿に行くことになりました。
ただ、最初は環境になれるのも苦労したそう。
練習も最初はうまくいかず悩んでいたものの、少しずつ自分の新しい走りの基礎を作っていったそうです。
そのきっかけは「スタンフォードインビテーショナル」という1万メートルを走るレース。
アメリカの合宿の最後に行われたそのレースに出場し、自己ベストに近い記録で走り切ることができたことで自信をつけていったそう。
しっかりと多くのことを身に着けて帰国することができました。
約2ヶ月間のアメリカ合宿とスタンフォードの試合が終わりました^_^
欲を言えば自己ベストを出したかったですが、まずは復帰できたことにひと安心です。本当にとてもいい経験と収穫のある合宿でした!
今年は怪我なく駅伝まで走れるよう頑張ります💪💪 pic.twitter.com/Ll01j8NgX6— 塩澤稀夕 (@shiozawa23_1217) March 30, 2019
強さの秘密はフォアフット走法
塩澤選手の強さの秘密は、フォーム改良による「フォアフット走法」。
これまでのつま先から接地し、つま先を蹴って出るフォームから、前足部分(フォアフット)で接地することに変え、つま先で蹴る走り方に変えた所、これまでのブレーキとアクセルを同時に踏み込む走りではなく、ブレーキをかけない走りへと変えていったといいます。
そのかいあって故障をすることもなく、ブレーキがかからない走りになったといいます。
この走法は膝の負担を軽くでき、接地時間も短いために筋肉への負担も前と比べて少ないのがメリットです。
故障が続いた塩澤選手だからこそたどり着けた走法ですね。
この走法に変えてから記録を伸ばし、四大学陸上競技大会では2位となりました!
彼の走りがチームメイトにも大きな影響を与えているのでしょうね!
おわりに
今日は塩澤選手について解説しました。
故障してもそこで諦めず前を向いて進んできた塩澤選手。
諦めないその心こそ、彼の強さの大きな要なのでしょうね。
箱根駅伝での飛躍が楽しみですね!
これからも応援していきましょう!



今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!