こんにちは。
悲しい事件が起きてしまいました。
アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで、現地で医療支援などの活動を続ける日本人医師中村哲医師が銃撃され、亡くなられたというニュースが入りました。
中村哲さんが、2008年に同じように現地でペシャワール会のメンバーとして働いていた伊藤和也さんが撃たれて亡くなったときに語った言葉。
「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」 pic.twitter.com/QuU4JCuGnc
— 古田大輔 (@masurakusuo) December 4, 2019
本当に偉大な方が亡くなってしまいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
その中で気になったことは、中村哲医師にお子さんや奥さんはいなかったか、ということ。
今日はそれらについて調べていこうと思います。
中村哲医師のプロフィールや経歴
それでは中村哲医師のプロフィールや経歴を紹介したいと思います。
中村哲医師のプロフィール
中村哲さんが、2008年に同じように現地でペシャワール会のメンバーとして働いていた伊藤和也さんが撃たれて亡くなったときに語った言葉。
「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」 pic.twitter.com/QuU4JCuGnc
— 古田大輔 (@masurakusuo) December 4, 2019
名前:中村哲(なかむら てつ)
生年月日:1946年9月15日
出身地:福岡県福岡市
所属:ペシャワール会
出身校:西南学院中学校→福岡県立福岡高等学校→九州大学医学部卒業
「兵隊3部作」で有名な小説家の火野葦平氏を母方の伯父に持ちます。
中村医師の祖父は、明治から大正にかけ、北九州若松で石炭荷役業者として「玉井組」の看板をあげて取り仕切り、人情厚い器量人として慕われた玉井金五郎氏。
金五郎の妻のマンと金五郎の次女、秀子が中村医師の母親ですが、なんと両親に結婚を反対され駆け落ちして一緒になった経歴があります。
しつけも非常に厳しく、父親から耳にタコができるほど聞かされたある言葉がありました。
早く大きくなって,日本の役に立つ人間になれ
お前は親を捨ててもいい.世の中のためになる人間になれ.
この教えに従い、これまで生きてきたのでしょうね。
中村医師はキリスト教プロテスタント系バプテスト派のクリスチャンでもありますが、他の宗教に否定的ということはなく、活動する現地の人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表していたそうです。
中村哲医師の経歴
中村医師は医大を卒業後、九州大学医学部に入学、神経内科を修め医師の道を歩み始めました。
そして国内病院勤務の後、1984年にパキスタン北西辺境州にある州都ペシャワールに赴任します。
これが中村医師の人生を大きく変えてしまいます。
もともと登山と昆虫採集が趣味だったそうで、海外勤務はその趣味ができるという軽い気持ちで赴任したそうですが、現地の惨状にいてもたってもいられず、以来0年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事します。
その後活動をつづけていく中で、医療による支援より、まずは生きることを優先させることが現地の住民を助ける手段になりうることに気付き、用水路の建設や農地復興に尽力されました。
何よりも生きるためには汚染されていない飲料水を確保することが何よりも必要だと考えたからです。
2010年には福岡県の山田堰をモデルとした25kmを超える用水路を建設し、約10万人の農民が暮らしていける基盤を作ります。
中村哲さんたちによって、アフガニスタンのガンベリ砂漠は、いまでは全長約25キロメートルの用水路として、1万6,500ヘクタールの緑の大地に生まれ変わった。これによって65万人もの難民たちが用水路の流域に帰農し、定住するようになった。想像を絶する途方も無い努力があった。 pic.twitter.com/xrXCY6NNPa
— 😇 (@aki21st) December 4, 2019
また、2016年には現地の住民が自分たちで用水路を作れるように学校を建設しています。
鍬を持ち、農業機械に乗り、畑を共に耕していた中村哲医師。
「本当に現地の人に必要なものは何か」
「未来を生きる子供たちに残せるものは何か」
それらを守るために現地の人と必死に活動されていたんですね。
その功績がたたえられ、2003年にアジアのノーベル賞と呼ばれ名誉な賞「マグサイサイ賞」を受賞。
2013年には第24回福岡アジア文化賞、第61回菊池寛賞を受賞しています。
2016年には旭日双光章を受章。
2018年、アフガニスタンの国家勲章も受賞し、2019年にはアフガニスタンのガニ大統領から市民証(名誉市民権)も授与されています。
知れば知るほど、ここまで人のために尽くされていた、その偉大さに涙が出ます。
中村哲医師は結婚して子供が5人いるって本当?
中村医師はアフガニスタンなど、難民の診療体制を整え、食糧支援や農村復興など幅広く支援活動に取り組まれてきた偉大な方です。
結婚されて奥さんがいる
中村医師には日本に奥さんがいます。
尚子さんという方で、福岡県大牟田市にある自宅で中村医師の帰りをまっていました。
写真を調べてみましたが、テレビなど取材を受けることはほぼないのか、写真などはありませんでした。
今回の悲報を受け取材陣にこう答えていたそうです。
悲しいばかりですよ。残念です。きょうみたいな日が来ないことだけを祈っていた
以前11月下旬まで2週間ほど帰省されていたそうで、いつもさらっと出てさらっと帰ってくる人だったといいます。
そんな風に世の中のために命を危険にさらして活動をされてきたのを、ずっと無事にと思って祈ってこられたのでしょう。
場所が場所なので予感はされていたそうなのですが、それでも中村哲医師が情熱を注いでいたことだったので見守るしかなかったのだそう。
本当に残念でなりません。
奥さんの気持ちを思うとやりきれないですね。
子供は5人いる
中村医師にはお子さんが5人いるそうです。
名前や年齢は公開されていませんが、おそらく成人され、お孫さんがいるお子さんもいらっしゃることでしょう。
お父さんと同じように、自分の道を進んでいるのではないでしょうか。
驚いたことに、中村さんはNPO活動の支援金などを一切貰わず、講演会や病院勤務など、日本で働いて稼いだお金でお子さんや奥さんを養っていたそうです。
パシャール会は基金から収入を得る方針ではなく、ボランティアで構成されていました。
人のために尽くす偉大な父親の背中を見て、自分の決めた道を進んでいかれているのでしょうね。
(追記)
長女の秋子さんと妻の尚子さんが遺体を現地まで引き取りに行きました。
秋子さんは気丈にふるまっていましたが、やはりつらいものがありますよね。
「お疲れ様でした」と声をかけたその気持ちを思うといたたまれませんよね。
中村哲医師の名言まとめ
中村医師はこれまで様々な活動を行い、そしてその中で魂の言葉ともいえる言葉を残しています。
その言葉をこれからご紹介していきますね!
誰もがそこへ行かぬから
まずは著書「辺境で診る 辺境から見る」からの一言です。
「誰もそこへ行かぬから、我々がゆく。誰もしないから、我々がする」
これは誰もいないところに行くことが、どれだけ覚悟がいるのかを思い知らされます。
目を背けることができない現実、背けてはいけない現実に、真っ向から向き合う中村医師の覚悟がこの言葉に現れています。
農業支援ができるのは
これも現地で活動している中村医師だからこそ言える言葉です。
「辺境で診る 辺境から見る」から引用になります。
「鍬も握っていない外国人が 農業支援を行うことはできません」
これを発言した時、多くの国が難民支援を行っていました。
しかし実態はお金を落としただけで、実際に現地に入り、汗水を流したわけではありません。
そうではない、現地で汗を流し鍬を持って耕すからこそ、本当の農業支援が見つかるもの。
本当の支援は現地に入って現地の人間の声を聴き、生きるために本当に必要な事を得るために支援することだということではないでしょうか。
あるがままの現実を受け入れて
これは中村医師が現地で事あるごとに口に出した言葉だそうです。
現地への支援に意気込む若者が、その厳しさに耐え切れず志半ばで帰国を余儀なくされることも少なくないそうです。
そんな時「あるがままを受け入れる」ことの大切さを何度も口にし、自己主張や気負いを捨て、本当の意味で支援をすることを肝に銘じていたのかもしれませんね。
平和とは理念ではなく現実のちから
中村医師はペシャワール会で現地の力になり、その上でこんな言葉を残しています。
「信頼」は一朝にして築かれるものではない。
利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れるのである。
それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのである。」
長年現地の人と共に活動をして支援をされてきた中村医師だからこそ言える言葉なのではないでしょうか。
中村医師は自身の安全が地域住民との信頼の絆によって成り立つことを誰よりも知っていました。
地域住民が本当の友人と自分たちを認めてくれれば、地域住民が自分たちを守ってくれる。
それは今、インタビューを受けると誰もが中村医師の事を悼むことからわかりますね。
中村さんはいくつか本も出版しており、その思いや活動内容などを書かれています。
こちらを読んでみると、中村さんの活動や思いがさらにわかるのではないでしょうか。
人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束 [ 中村哲 ]
おわりに
今回本当に惜しい人を亡くしましたね。
中村医師はお祖父さんによく似ていて、どんな職業でも人はみな同じ、弱いものはかばってあげる、小さな命も尊ぶという祖父の生き方をしっかり見ていて、それを全うされたのでしょう。
現地のスタッフも悲しみに暮れています。
アフガンの人々が #SORRYJAPAN ってハッシュタグで中村哲先生を追悼してる …この画像
謝らないで…涙が#ناکامورا pic.twitter.com/fuCIxbEcjs— とんとⁿ (@1010tonto) December 4, 2019
あのタリバンですら「自分はやっていない」と無関係のコメントを出すくらい、現地の住民から信頼を受けていた中村哲医師。
ここで命を救う活動の火が消えることなく、本当に必要な人に支援の手が行き届くことを願ってやみません。
そしてアフガニスタンの大統領も棺を自ら抱えたり、飛行機に肖像画が描かれるほど、アフガニスタンで希望の星になっていたんですね。
ご家族とともに帰国の途につく中村哲さんの棺を、アフガニスタンの大統領が自ら担いだ。まさに国として最大限の敬意だと思う。
Body of Japanese doctor Nakamura leaves Afghanistan with family – The Mainichi https://t.co/TD2SXK9smo
— ぶる (@polyrhythmic_bw) December 7, 2019
どうか中村さんが未来へと願っていた希望が引き継がれ、全世界を平和へと導いてくれますように。
U2行ってよかった!中村哲さんへのボノからの追悼メッセージと、みんなでライトを点けて🕯 美しい祈りの時間でした。 pic.twitter.com/5ODW1cEL3e
— mine (@mi_ne) December 5, 2019
私も中村哲医師が所属するペシャワール会に基金に行きました。
ここで現地の人への支援を途絶えさせるわけにはいかないのです。
振込先:ペシャワール会
郵便振替番号:01790-7-6559
※郵便局備え付けの払込取扱票をご利用いただき、備考欄に「ご寄付」「会員費」等ご記入ください。
連絡先電話:092-731-2372(受付時間9:00~18:00)
2,000円基金をすると、1家族10人が1か月生活できます。
平和の歩みを、今生きる私たちが繋ぐ必要があるのです。
あらためて、お悔やみを申し上げます。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!