高畑勲監督の経歴や人気作品まとめ!火垂るの墓やかぐや姫以外にも名作があった!

この記事は3分で読めます





こんにちは!みやもんです。

私が大好きな「スタジオジブリ」の監督の高畑勲監督が2018年4月5日、逝去されましたね。

82歳の生涯でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

様々な作品に関わり、日本のアニメーション界を先導し続けた高畑勲監督。

今回はそんな素晴らしい高畑勲監督の経歴や代表作などについて、書いていこうと思います。

1:高畑勲監督とはどんな人?

高畑勲監督は、1935年10月29日生まれ。

三重県宇治山田市(現伊勢市)で、7人兄弟の末っ子として育ちます。

東京大学卒業後、『やぶにらみの暴君』(『王と鳥』の原型)に感動し、アニメーション映画を自分で作る事を決意します。

その後東映動画に入社し、『オオカミ少年ケン』で演出デビュー。その仕事ぶりが評価され、『太陽の王子ホルスの大冒険』の演出(監督)に抜擢されます。

その後、後輩の宮崎駿らと共にAプロダクションに移籍し、『ルパン三世』の演出を担当し、のちのルパンシリーズの原型を作り上げました。

1973年にズイヨー映像に移籍した後、テレコム・アニメーションフィルムを経由した後、1985年にスタジオジブリを立ち上げます。

その後も私たちが見た事のある作品を手掛け、アニメーションの可能性を広げ続けた人でもありました。

その功績が認められ、1988年委は秋の紫綬褒章も受賞しています。

血液型派はO型。

愛称は「パクさん」。宮崎駿監督らは、「東映動画時代に高畑がよく遅刻して食パンをパクパク食べていたから」とこの愛称の由来を話しています。

趣味は音楽鑑賞と勉強。

特に音楽に関しては思いが深く、『紅の豚』では「さくらんぼの実る頃」の訳詞をしたり、『かぐや姫の物語』では挿入歌である「わらべ唄」「天女の唄」を作曲しています。

愛煙家だったそうですが、周りの勧めで禁煙に踏み切っていました。

ここ最近は闘病中だという事もあり、あまりメディアには顔を出していませんでしたね。




2:代表作は?

代表作は何といっても、『かぐや姫の物語』

当時は賛否両論だったこのアニメーション映画。

リアルで迫力がありながら、繊細で細かな描写に、誰もが知っている『かぐや姫』が新鮮に見えた人も多い事でしょうね。

かぐや姫の物語の声優は誰なの?エピソードやラストの音楽と見所について

 

そして、涙なしでは見られない『火垂るの墓』

「節子が姪っ子に見えてしまって・・・」と母はいつもこの映画をみると号泣していました。

戦争の悲惨さを今に伝える名作です。

 

あの名作が動き出す!『赤毛のアン』

私も子どもの頃、小説から入った『赤毛のアン』

アニメーションになって、主人公アンの想像力溢れる世界が広がりましたね。

 

誰もが「そんな時代があったね」と頷ける『おもひでぽろぽろ』

10代の頃見た時と、20代で見た時と、見る場所が全く異なって、世代を問わず観ることができる作品です。

 

そして!見ていて応援したくなった『平成狸合戦ぽんぽこ』

ぽんぽこの人間を追い払おうとするアイデアとちょっと抜けた行動に、つい笑ってしまう映画でしたね。

 

最近某CMでおなじみになった『アルプスの少女ハイジ』

「オープニングのあのブランコはどこにつながってるんだろう?」なんて疑問や、クララが立った時の感動は忘れられません。

アニメ業界の中で話題沸騰になったり「名作」と呼ばれるアニメーションをたくさん作られていたのですね。

 

3:その他にもこんなアニメに関わっていた?

代表作以外にも、日本アニメーションの現場を先導し続けた高畑勲監督。

代表作と言われる以外にも、こんな名作に関わっていた事はご存知でしょうか?

ルパン三世 第一シリーズ(1971年)

今後のルパンシリーズの原型を作ったと言われる第1シリーズ。

この作品にも宮崎駿監督と共に関わっていましたね。

ここまで愛される作品になるなんて、当時では思いもしなかったでしょうね。

私も大好きな作品です。

 

・母をたずねて三千里 (1976年、1980年)

主人公マルコの一途に母を思う気持ちが、奇跡を呼んだ作品でしたね。

シリアスな展開に、小さな私はいつも正座してみる作品でした。

 

パンダ子パンダ(1972年)

後の『となりのトトロ』の原型ともなる作品。かわいらしいキャラクターが人気を集めましたね。

「かわいいからずっと見ていたい」という意見もありました。

 

ホーホケキョ となりの山田くん(1999年)

ほのぼのとした作品と家族の日常を描いた作品でしたね。家族っていいなあと思った方は多いのではないでしょうか。

 

じゃりン子チエ(1981年~1983年)

じゃりン子「チエ」とそれを取り巻く個性的なキャラクターが成長していく話に、笑いあり涙ありの作品でしたね。

 

シートン動物記 くまの子ジャッキー(1972年)

私もこの作品が大好きで、これを見て動物に詳しくもなり、大好きにもなりました。

 

セロ弾きのゴーシュ(1982年)

宮沢賢治の名作も高畑勲監督の手でアニメーション化されていましたね。こちらも名作と呼ばれています。

『魔女の宅急便』『風の谷のナウシカ』ではプロデューサーで関わっていました。

「アニメの名作」と呼ばれる作品にはいつも、高畑勲監督は関わっていたんですね。

 

4:まとめ

いかがでしたか?

日本のアニメーション界の発展に、なくてはならなかった高畑勲監督。

子どものような好奇心を持ち、目をキラキラさせながら作品に向かっていたといわれている事から、周りの人から大変愛されている方だったんですね。

何の病気だったかはわかりませんが、第一線で活躍されていた方だったので、現役時代は激務だったことが予想されます。

今回、逝去されたのは本当に悲しいですが、たくさんの作品から溢れる監督のメッセージが、これからも子どもや大人たちに伝わってくれることを願っています。




  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。